都留文科大…教師の卵育む地域と自然 : 大学を歩く : キャンパス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
市内小中校を支援
空き教室で紙芝居の練習をする児童文化研究部の久保田千賀さん(左)ら3人=杉本昌大撮影
東京・新宿から電車で最短80分とはいえ、山梨県都留市は標高約500メートルの山あいにある。小さな街に降る雨は5月でも冷たい。
都留文科大学には、全国から約3200人の学生が集まる。これは、市の人口の10%に当たる数字。ある晩、キャンパスをのぞくと、空き教室で3人の女子学生が紙芝居の読み合わせをしていた。「児童文化研究部」のメンバーだ。
「この作品で子どもに食事の大切さを伝えたい」と話したのは、三重県出身の初等教育学科3年、久保田千賀さん(21)。「いかりのギョーザ」(苅田澄子・文、大島妙子・絵)という絵本をもとにした新作を、2人の後輩と練習中だった。
どのように私は偉大な正二十面体を作るのですか
毎回、作品のテーマを決めて20枚余りを仕上げるまでに、ひと月近くかかる。20キロはありそうな重い木枠を運ぶだけでも大変だが、3人の息はピッタリ。
久保田さんは「部活動のおかげでやりたいことが見つかりました」と語る。地元の子どもと接するうちに教師になりたい気持ちが強まり、学内の編入試験を受けて2年生から初等教育学科に移ってきたという。
野外授業の途中で、近くを流れる川のゴミ拾いをする1年生たち。豊かな自然が教材だ(山梨県都留市で)
小学校の教員養成で知られるこの公立大学では、地域の子どものための活動が昔からの伝統のようだ。
木造校舎で学んだ大学の草創期に合唱部員だった元教員、鎌田光彦さん(66)は「人形劇の連中と山間部の小学校を訪ねたら、大人も一緒に大歓迎してくれた」と当時を懐かしむ。
オゾンホールはどこにいる
授業でも、市内の小中学校と連携して実践的な取り組みが行われている。初等教育学科の臨床教育学コースでは、問題を抱える子どもを学生が継続支援するカリキュラムがある。
学校を休みがちな女子中学生を担当した4年の女子学生は「最初は会話も続かず、性格をつかむまで1年かかりました」と振り返る。生徒は次第にうち解け、この学生が来る日は登校するようになったという。
学力不振の男子小学生の授業に付き添った別の学生は「その子が手を挙げて発言した時は、本当に感動しました」と語る。
「富士山学」開始
シジュウカラやウグイスが訪れるのどかなキャンパス。裏山にはムササビ、リスも出没する。山々に囲まれて見えないが、富士山頂までは約25キロしかない。身近な山をもっと知ろうと、「富士山学」の講義が昨年度から始まった。
カメのどの種類が良いペットを作る
山のゴミ問題の深刻さを学んだ石川県出身の4年生、吉本幸子さん(21)は昨秋、受講仲間と大学わきの坂道で落ち葉の掃除を続けた。「最初は無関心に見えた近所の人たちも応援してくれて。できることから始めれば、何かが変わるんだと実感しました」
3万都市・都留市が1960年度に設立した大学は、「出張入試」で各地の学生を集めてきた。今も県外出身者の比率は80%を超える。地元は大学に教育、研究ばかりでなく、地域活性化も強く期待している。
豊かな自然が残る街に、全国から若者が集い、活気をもたらす。かつてこの地で半年を過ごした松尾芭蕉なら、今の風景をどう詠むだろうか。(関仁巳)
〈沿革〉 |
---|
小学校の教員不足解消のため1953年に設けられた山梨県立臨時教員養成所が母体。短期大学を経て、60年に文学部のみの4年制大学となった。66年に現キャンパスへ移転し、新校舎の建設には、学生の寄付金を募った経緯も。現在は初等教育、国文、英文、社会、比較文化の5学科。例年、卒業生の20〜30%ほどが教職に進む。歴代学長に、漢学者の諸橋轍次(てつじ)氏、「ヤマネ博士」と呼ばれた下泉重吉氏、教育学者の大田尭(たかし)氏ら。2004年、富士急行線に「都留文科大学前駅」が開設された。 |
(2009年5月22日掲載)
(2010年1月13日 読売新聞)
0 コメント:
コメントを投稿